2008年8月6日水曜日

行動学序説

 一生を荘厳するような歴史を実現する行動の学問を論ずるのは、効率的で実効性のある行動を確実に有機的に実行・実践することにより、思い描く理想を観念の幻想から開放し、ひとつ一つの現実の変革を達成することにある。そのギャップを常々実感してもなかなか怠惰な時流に流されにっちもさっちも行かず、ため息ばかりを先行させているようなそんな日常からの脱出を試みようとしている人間にとって、その原因が何によるのか気づいていない。
 無駄なことを人生の大半を使って気づいたときには棺函に片足を突っ込んでいるというのではあまりに味気ないことではあるが、ふと気がつくと無意味な空想に終始しており、変革から逃避するかのような怠惰な日常の檻につながれ、空虚のみが残るだけであり、徒労であり、空転を繰り返すばかりである。
 人生そのものが虚無とならないように、理想を現実に変革した歴史を刻印することこそ肝要である。
 何でもかんでも実証主義というのも遊びがないという側面もあるが、遊びは放って置いてもどんどん沸いてくるもので、どう実証するかに心を砕くべきで、その建設のために心血を注ぐべきである。凡人にはそこのところが頭では分かっていても行動に結びつかないし理解できない。
 大切なことは行動をいかに迅速に起こし、やるべきことをいかに実行し、達成・卓越性をどう実現するかだ。その源は、「情熱」と「度胸」だ。何ものにも畏れぬ強靭なパワーを爆発させ、自らの固く閉ざされたちっぽけな自分史を打ち砕くことだ。

行く川のながれは絶えずして

「人の生き死に」というものがこの大宇宙の営みのひとつである
と同時にその大宇宙を象徴的に表現している存在として人間は
それぞれの進化を遂げてきた。
しかし、心の中の進化については甚だ疑問と言わざるを得ない。
特に善について心の中に砦を築くまでには至っていない。
いまなお光彩を放つ方丈記。

※「方丈記」鴨長明の抜粋
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまる
ことなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。(中抜)
住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、
いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとり
ふたりなり。(中抜)
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、
たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、
いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、
何によりてか目をよろこばしむる。
そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、
いはゞ朝顏の露にことならず。
或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なほ消えず。
消えずといへども、ゆふべを待つことなし。(後抜)