2017年11月5日日曜日

「精神を別物として捉えることによる自由」

自分の過去から現在に至る歴史を振返って満身創痍となった状態に対して持つ肉体への愛着は、時として精神をも狂わせるが、この心的な世界を別の物として捉えると、人間の行動指針としては有益と思える。

   たとえば、人間の肉体的な疾病によって発生する感情や精神的なストレスを全く感じないようにコントロールすること、或いは、肉体と精神の両者を分断することで精神的なストレスから解放させることができるのである。それは「肉体の闇に引き摺られることのない日常をつくる」という意味である。
 

肉体と精神の関係は、その健全性を理想とするあまりに精神の自由を拘束し、もっと日常的な処世術の段階で挫折を強いるような思想が蔓延ってしまっている。生きるということは理想的な生き方を追究することではなく、この窮状を精神的な先入観(思い込み)に拠らず心で肉体内の叫び(体感する方法で得る)と向かい合うことが初動である。例えば、飲酒の習慣化により筋肉や細胞の一つ一つに損傷が出始め、その変化(悲鳴といえる異常)に対する見えざる声が聞こえなくなっている状態(アルコールによる麻痺状態)が続き、さらに深刻な変化に移行しているような場合でも内臓に対する過信と労わり慈しむ心の欠如は、こうした状態をも放置してしまうのである。

改善への一歩は、この肉体から「精神を分離して考える」という精神開放への対処法を用いることである。

 

(追記)

「この世の終わり方」「この世の畳み方」に関する全仕事の完成度と未完度分析、及び近親者が困らないために実施しておくべき項目(抜粋)

・探しものに対する探索の労を省略する事

・生前やるべき事をすべて成し遂げておく事

・近親者が死後においても寂しがらない事

・残されし人々のための「作業及び捉え方・考え方」で、困った時のQ&Aを作成しておく事

・遺言の利用、または財産を残さない(残せない)事、その他

2017年10月28日土曜日

新宿ゴールデン街再訪

 
Goghの絵画のような輝き
明暗の闇に潜む逞しい精神と息づかい
 
 
沈黙の整列
老いてなお活き活きと、そして淡々と赤裸々に
何も隠さず露わにして
 
 
 
 
自販機もこの街の入り口にポツンと立つ
 
 
 
 
 
 
壁と壁の隙間は臓物の襞のように
息づいている
 
 ふと ゴールデン界だと感じていた
 
 
奇跡の街 くすみに溶けている人・ひと・ヒト・・・

ウキコトノ ナオコノウエニ ツモレカシ
カギリアルミノ チカラタメサン(バンザン)
 
 
映画スターの競演、在りし日の面影
 
 
 
 
 
歳月の重み
動かしようのない生き方、行き方
 
 
むき出しの配管と室外機
もはやアートと化している
不思議なくらい引き込まれる侘びと寂、ニオイ
 
 
 

ひとつ一つがコダワリノの賜物
紐解けば、それぞれの人生が見えてくる(に違いない)
 
 人生の年輪 ドリンキングヒストリー
歴史と伝統
冷静と沈黙の函(箱)
 

その扉を開ければ
別の世界が見えてくる
 
 
 大都会の中のオアシス
人間の「フルサト」
ミハ タトエ ムサシノ ノベニ クチヌトモ
トドメオカマシ ヤマトダマシイ(ショウイン)
 
 

2017年9月1日金曜日

或る日突然

 

何も告げずに死んでしまった時の

残されたひとへの伝言を

残しておこうと思った


何かしらの手懸りを残すこと

入口のパスワードと

メッセージのあるブログへの案内

それで事は足りる


昔なら手紙や手記だが今はブログだろう

残った人は何を思うだろうか

悲しみを乗り越えて生きて行くだろうが

そこに希望を見出し

歩みを始められるようにする時の

必要なのは、その栞だ


人は必ずいつかは死ぬ

遅かれ早かれ死ぬ

それまでを繋ぐモチベーションがいる

その準備だ




2017年8月29日火曜日

ふと佇んで


後生大事にしていることの殆どが 
思い込んでいるだけで 
無意味で無価値であることが分かる
 
飾りの全てを取り去って 
素っ裸にして見つめてみる
 
取り繕ったり弁明したりしなくても 
厳とした自分がそこに在ることに気づく


(直観的にメモしたことをアップして、その後、思い込みや脳と心の風景を幾分吟味して、以下のように膨らました) 

この世に生を受け、生の証として残してきたものや今も求め続けて、つくり上げようと足掻いていることなど、後生大事にしていることの殆どが、思い込んでいるだけでお粗末な無意味で無価値なものであることに気づく。
 
「飾り(虚栄の虚構の造り物)」がサラサラと崩れ、煌びやかに見えるすべてを取り去って素っ裸にして見つめてみる。そこに見える地平に何が見えるのか。
 
ガラクタで飾られたポンコツ(機械)が、煙と蒸気を吹いて、重荷を背負い込み過ぎて身動きが取れず、実しやかな理屈を拵えて独り善がりの世界に埋没していても、方丈に屯して腐っていても埒が明かない。

 一喝されれば容易く潰れ、もとの木阿弥になってさえも気づかずに徒労を積み重ね、ふと立ち止まって佇んで、差し迫った死を疑似ってみる。深呼吸して息を殺して三本指で脈拍をとる。突然死はまだ来ない、恐らく当分来ない、まだ生きている。
 
取り繕ったり弁明したりしなくても厳としたものがそこに在るのに突然の消滅を怖がっている。杞憂かも知れないが消滅を怖れている。それでも動き続け働き続けて倒れるまで、生き続け働き続ける。途上とか無念とかの言葉を嫌っている。

2017年8月1日火曜日

朝食

朝食の習慣
一汁一菜か、一汁三菜かは別として、腹八分目を励行する。
食生活から変えて、バランスよく食べお菓子類は控える。
プラス運動(腰回し、腹筋、グーパー、側筋、スクワットなど)を継続的に行う。

2017年6月11日日曜日

死とは何か


人間は必ず死んでいく存在である。それはあまりにも孤独で淋しいこと

である(逆もまた真である)。
 
現実に死は紛れもなく間違いなくやってくる。夢でもなく幻想でもなく

人間はこの世から消えていく存在でもある
 
(実は共同幻想なのかも知れない)。

 

人間が不老不死を求め、生命の永遠性を求めた歴史はあまりにも

本然的な感情から生じたと言える。
 
そしてまた、限られた時間を精一杯楽しく生ききるのも自分自身

なのである。

考える葦と名づけられた人間が、この世に生を受け「存在の証明」

をするためにやるべきことがあるとすれば、
 
「肉体的な永遠性」ではなく心の「絶大なまでの永遠性」を残す

ということになるだろう。
 
それはまた善に貫かれていなければならない。(これが思想であり、

哲学であり、畢竟宗教である)

 

ふと足元を見れば「死も怖れない・あらゆる苦悩もものともしない

淡々とした人間の生きざまもあるのだ」ということに気づく、

「人間が嘆き悲しんでいる全ての事柄は人間の本来のありようで

あるのであり、自らを卑下し軽しみ傷つけることはないのだ」

ということに気づく、「自由に悠々と飛び回って淡々と死んでいく
 
というのが良い」と気づく、

畢竟、「苦悩と苦悶と苦痛と、どう付き合っていくかに人生の面白さ

が具わっている。」

  

吉田松陰のことば)

死は好むものでもなく、また、憎むべきものでもない。
 
 
世の中には、生きながら心の死んでいる者がいるかと思えば、


その身は滅んでも魂の存する者もいる。
 
 
死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、

 
生きて大業をなす見込みあらば、


いつまでも生きたらよいのである。

 
つまり小生の見るところでは、人間というものは、


生死を度外視して、何かを成し遂げる心構えこそ大切なのだ。

 

2017年2月6日月曜日

集英社(手前)と小学館(中央)

 
小学館本社ビルは昨年11月にオープン。

親と子は、双璧となってそそり立つ。

 

路傍の葉

靖国通りの喧噪と路傍の葉っぱ。
 

2017年2月3日金曜日

のぞみ396号17:46新大阪発東京行き

新幹線を利用して、大阪、神戸、京都、名古屋に行くことがあるが、殆ど「のぞみ」である(席は必ずA席希望)。 新横浜を出ると次は名古屋、一眠りして、車内のアナウンス「三河安城駅を予定通り通過しました」(東京から一時間半位)が流れる頃には目覚めて(名古屋で下車する場合は)支度する。名古屋から京都、京都から新大阪、新大阪から新神戸などのそれぞれの区間では殆ど眠ることはない。



2017年1月19日木曜日

ゴールデン街裏路地

ゴールデン街

ジャガイモを食べる人々(ジャガイモをたべるひとびと、De Aardappeleters

の明暗を感じさせ、フィンセント・ファン・ゴッホが抱いていた色調を感じさせる

実に深みのある風景である。



 闇の中に裸電球がぼんやりと否眩く光り、

重厚な歴史の余韻が現代的なあらゆる喧噪を

弾き返して佇む。

歴史を積み重ねないと出て来ない味わいがある。